不動産担保ローンのご提案

アメリカ国民の前には、減税が消費を刺激するなどして、八二年から息の長い上昇に入ったアメリカ経済があった。
レーガン政権が、この成果に、日本からの借金に支えられて米国民は「生活水準」を落とさないですんだ、などと解説をつけるはずはない。
一方、にわか大債権国・日本の投資家の方は、アメリカ国債が安全有利な投資先と見えたので委細かまわずに殺到したといったところだろう。
しかし、もし日本からの資金の流入が途絶えた場合、アメリカにとって、経常赤字の大幅な圧縮が不可避であったことは、ギルピンが断定するとおりである。
レーガノミックスは挫折し、国民は消費を大幅に削減しなければならなかった。
また、軍事的に見ても、冷戦末期の様相はかなり異なるものになっていたにちがいない。
が、ともあれ、アメリカの経常赤字は続いたし、ジャパン・マネーの補給も滞ることはなかった。
八四年にはいっそう成長が加速するなかで、「アメリカの夜明け」を謡ったレーガン大統領は楽々と再選を果たしたのだった。
八〇年代の前半という時期は、七〇年代以来、経常黒字基調となった日本が、突然、大債権国として頭角を現し、アメリカは、逆に、経常赤字を累積させて債務国に転落するにいたる、戦後の国際経済史に特筆されるべき五年間であった。
前車で述べた歴史的見方に従うならば、この現象はまぎれもない「中心的債権国の交代」である。
この重大な現実の推移が、いまふり返ると、きわめてスムーズに進行したように見えるのは、やはりアメリカにとって日本が対ソ冷戦の「戦友」だったためだろうか。
アメリカ人に豊かな消費生活を保証したあげく、冷戦が終わると、日本は一転、「経済的脅威」とまで認識されるようになる。
八〇年代前半、日米両国はまことに奇妙な共同幻想にとらわれていたというほかはない。
金利ただ乗り論もっとも、当時、突然のように現出した、二つの経済大国の一体化と貿易・資本の両面にわたる非対照性は、国際経済の現実としてきわめて異様な事態ではあった。
覇権国アメリカの経常収支の赤字がどこに行き着くのか、それは何人も明確には描き得ないシナリオであったし、新興大債権国・日本のはらむ問題は、いっそう不透明であった。
アメリカの経常赤字の増勢は七〇年以来の現象で、表面上の好況とは裏腹に、好転への展望はまったくなかった。
八五年の時点で、対外純債務が一〇〇〇億ドル、しかも一〇%という高い長期金利は、翌年には計算上、一〇〇億ドルもの利子を債務として積み上げることになる。
債務と金利が雪だるま式に増殖すれば、五年後には一兆ドルにまで達するであろう、という推算もなされた。
これは高金利下で債務の自己増殖に悩む途上国のパターンにほかならなかった。
アメリカがこれから抜け出るには、産業の兼争力改善による貿易収支の黒字拡大が期待される、とありきたりの論評をするしかない状況だったのである。
一方で当時の日本の資本輸出は、ハイテク産業などの強い産業競争力が、ドル高の追い風を受けて膨大な貿易黒字をあげた結果といえた。
もっとも有利なポートフォリオとして、債券投資の形で、アメリカへの資金環流が極端に行われていたわけである。
八五年四月には'対外投資収益の増加で貿易外収支もはじめて黒字に転じている。
日本は、あの「ビクトリア循環」のように、貿易黒字、経常黒字による対外資産が、さらに自己増殖する段階にまで達したものと思われた。
しかも、「ビクトリア循環」でイギリスが得ていた債券投資の平均利回りは、五%に過ぎなかったが、これに対して、日本の対米投資による収益は、一〇%という高金利に恵まれ、自己増殖のピッチが驚くほど早いだろうことが予測された。
これはどう見ても健全な経済関係とは言いかねた。
筆者は八五年前半に、次のようなコメントを記している。
《急速な大債権国化は、大きな問題をはらむ。
それはどこまで国際的に受容されるものであろうか。
英国、米国の例を見ても中心的資本輸出国は同時に基軸通貨国であり、数十年にわたる世界の政治・軍事的中心を形成した。
そうした条件を欠くわが国が対外資産だけを膨張させてゆくことが、どこまで国際的に納得されるであろうか。
「金利ただ乗り」といった批判が出てきても、的外れとはいえないのである》筆者は、右の論文の中で、アメリカの異常な高金利が、ドルの為替レートの変動リスクを含むものではないか、という仮説にも7応は言及しておいた。
だが、筆者の予測を超えて、事態の展開は急激かつ思いがけない形で訪れた。
「プラザ合意」とその後の「国際政策協調」、それらは日本経済に、いったいどのような影響を及ぼしたのだろうか。
貿易黒字の正体日本の機関投資家が、にわかに出現した大きな対米金利差に誘われたためか、あるいはそこに西ドイツに代えて日本資金を引込むための米側の意図もあったのか。
ギルピンらの観察をみるまでもなく、事実は後者に近かったであろう。
八〇年代に入って、ジャパン・マネーが米国国債の大規模な取得に乗り出した結果、新たに形成された日米間のマネー関係は、基本的には貿易関係の裏返しといえるものであった。
外国民間人によるアメリカ国債保有は、八一~八五年間に六二〇億ドルも純増した(米商務省資料)が、これは西ドイツが手を引いている以上、実質的に日本の投資によるものと考えられる。
他方、この期間の日本の経常黒字は、五年間の累計が約七二〇〇億ドルに及ぶ。
つまり日本は経常黒字の約半分を、長期国債取得の形で安定的にアメリカに環流させていたことになる。
この時期のアメリカが、日本をはじめ海外からの流入資金で経常収支の赤字を埋め、さらにその余剰分で自ら海外投資を実行していた点についてはで述べ、「帝国循環」という名称を紹介しておいた。
ところが、興味深いことに、日本側の資金収支もこれに対応する姿を示していたのである。
日本は八四年頃には、貿易黒字の拡大で年間の経常黒字、三五〇億ドル近くを計上するまでになった。
しかし、長期の資本収支のほうは、経常収支黒字を上まわる赤字を常に続けていた。
対外投資額が日本への投資額よりも大きければ資本収支は赤字となる。
このことは何を意味するのか。
国際資本移動が自由化されているもとでは、本来、経常収支の黒字が長期海外投資の原資とされる。
しかし、日本はこれに加え、自ら短期の資金を調達して、これを長期の投資にふりあて、「原資」以上の積極的投資を行っていたということになる。
八四年末の日本の対外純資産は七四〇億ドル。
八〇年末と比較すると約六〇〇億ドル増加しており、これは同期間の経常黒字の累積六七〇億ドルと見合う額である。
ところが、この間、債務を差し引かない総資産では一八〇〇億ドルも増加しており、したがって債務もまたかなり伸びていることがわかる。
さらに総資産増加分の内訳は、長期資産が主体だが、これに対する長期負債の増加は六〇〇億ドル強にすぎず、他は短期負債、なかでも金融勘定が五〇〇億ドルと突出した増加を示している。
つまり、この実力以上とも言える「転貸国家」の主役は、生保ではなく邦銀である。
この数字の背後には、日本の民間銀行の国際化にともなう急速な現地店舗網の展開があり、邦銀がドル預金をとりまくっている姿が浮かび上がってくる。
ぎや「短期借り・長期貸し」の利鞠稼ぎである。
短期の金利は低く、長期の金利はより大きなリスクを含むから当然高くなる。

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